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坂本龍馬暗殺について
明治維新の立役者である、坂本龍馬は
暗殺されましたが。
真実は、解明されてません。
次の3つの説が、有力です。
①新撰組隊施設
②幕府見回り隊士説
③薩摩藩説
皆様の、コメントをお願いします。
番号選んだのみの方は、評価は4、
理由も書かれたら、評価は5とします。
ベスト回答は、僕の推理と
一番近い方に、します。

  • 質問者:たろうべい
  • 質問日時:2009-02-25 21:00:23
  • 2

回答してくれたみんなへのお礼

コメント、たくさんありがとうこざいます。
僕の推理は、ずばり③番です。
根拠は、次の点からです。
明治維新後、一番誰が得したか。
簡単に、居場所がわかったのか。相当注意してるはずなのに。
相手に、傷も与えてる様子がない。側には、ピストルや刀があったはずなのに。
明治政府は、真剣に暗殺犯の捜索をした気配がない。
以上の点から、かなり信頼している人物達から、突然の奇襲と思います。
それができるのは、薩摩藩しかありえません。
計画犯は大久保利通、実行犯は薩摩の志士だと推測します。
これは、あくまでも推理です。真実はこのまま、わからないだろうと。

私の推理は、③です。
しかし、西郷隆盛や家老職の帯刀は関与していなかったように思います。
薩摩藩にも新政府のあるべき姿と手順をしっかりと持っていて行動をしたものと勢いで倒幕に参加したものも入るということですから上の知らないうちに目の上のたんこぶになると予想された竜馬を刃に掛けたという推測です。
①であれば、手柄話として世に出ると思いますが出ていない事を考えると先を越されたというのが本音ではないかと推測します。
②も同じような考えです。

闇の中の出来事ですから、実は、土佐藩士が理想主義の竜馬の行動にねたみを持った陰謀とも取れる暗殺だったのかもしれません。

  • 回答者:ソーダくん (質問から27分後)
  • 2
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一番強い動機を持っていたのも一番得したのも薩摩ですよね。
多くの邪魔者を消してる薩摩藩が竜馬だけはやってない
というのも少し無理があります。
当時の大奸物、坂本竜馬を斬ったというのに暗殺者が名乗りを挙げていない
という点も併せ、私は③薩摩藩説がもっとも信憑性高いと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から13時間後)
  • 1
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①新撰組隊施設 だとおもいます。
新撰組と交流があったことを逆に利用されたんだと思ってます。

  • 回答者:sooda (質問から7時間後)
  • 1
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②が一番有力かと思います。

仮に新撰組だったら「坂本・中岡2名を殺害」という隊の記録が残っていてもおかしくないですし、
暗殺者は最初に龍馬の偽名で呼びかけ、反応した方を龍馬と判断して襲っています。
(結果的に2人とも殺されましたが)
つまり暗殺者は龍馬の外見を知らなかったことになります。

実は新撰組と龍馬は面識があるので
(屋外で新撰組と出合ったが堂々と目の前を通過、
 意外過ぎる行動に呆気にとられて新撰組も斬れなかった)
外見を覚えている隊士がいてもおかしくないです。

薩摩藩にとっても龍馬を殺すほどの価値がある人物だったかどうか・・・。
龍馬は新政府に加わらず下野するつもりで、その事は西郷隆盛も知っていましたので。

ただ、当時の土佐藩の人は新撰組が犯人だと思っていたらしいですね。
捕らえられた近藤勇が新政府上層部への伺い(近藤はこれを予想していた)もせず
さっさと殺されたのは捕らえた部隊に土佐の人が多かったからという説があります。

  • 回答者:Tatchy (質問から4時間後)
  • 3
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③薩摩藩説です。
竜馬はもともと武力で倒幕は考えていませんでした。
大政奉還でもわかるように平和的に政権を交代させたかったと思います。
ただ武力で倒幕したい薩摩藩にとっては邪魔な存在なので暗殺したと思います。

  • 回答者:mobi (質問から3時間後)
  • 1
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②です。
「薩長連合」は日本が近代統一国家に生まれ変わる第一歩と言っていい。悲願陣痛とも言える秘密協約が、実を結んだのは、慶応二年一月二十一日です。
所も、京都の小松邸でした。六か条からなる盟約書の中身は軍事提携でしたが「幕府は徳川の私物ではない。政権は公の物で天下のためにある」
勝海舟をはじめ先覚者達が言い続けた言葉が一歩近づいた事実は否定できない。
ところが同盟成立のあと、寺田屋へ戻った龍馬は、幕府の捕吏に襲撃されて手傷を負い、辛くも一命を得て薩摩藩邸へ担ぎ込まれたが、24日の未明の事で気の緩みが無かったとは言えない。
龍馬はその後、お竜と鹿児島に行き、温泉で傷の治療をしたのだが、これが新婚旅行といわれている。龍馬が殺害されるのはこの翌年。
「大政奉還建白書」を土佐の後藤象二郎に老中、板倉勝静に提出させ、その大政奉還が実現し、ほっとしたのか、自信過剰が災いしたのか、周囲の忠告も軽く受け流し、京都の近江屋で襲撃され、33歳の若い命を閉じたのです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
  • 1
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②幕府見回り隊士説だと思います。
理由は、龍馬は薩長連合を仲介した張本人だからです。
薩摩藩と長州藩が手を組むことは、弱体化した幕府にとって脅威です。
そのために、龍馬を抵抗勢力として、幕府見回り組に暗殺させたのでしょう。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
  • 1
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私は③薩摩藩説を推します。当時竜馬は攘夷論から開国論に一気に変わってますから。竜馬の思想転換にいちばん振り回されたのが理由です。同一理由で土佐藩説も挙げたいですね。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
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敵対する坂本竜馬を消したかったからだと思いますが
②の幕府見回り隊だと今井信郎・渡辺篤の口述に食い違いがあると
言われているし、新撰組がやったという事実のほうが受け入れやすい。
(まったくの個人的意見にはなりますが)
ので①を推します。

  • 回答者:さくら (質問から2時間後)
  • 1
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3 武力で主導権を握りたい薩摩藩にとって
武力を否定する坂本龍馬は邪魔な存在にしかならず
暗殺したのだと思います

  • 回答者:歴史 (質問から53分後)
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「私が暗殺団の一員だった。」という今井信郎という人が、
明治に現われているので、
事実としては、②が正解だと思います。

ただ、維新側の大物でありながら
武力倒幕には否定的であった龍馬を、幕府側が暗殺する。
というのは、変な気もしますね。

もっとも、龍馬も京都で捕り方に囲まれて、銃で応戦した。
なんて記録もあったと思いますから、
見廻組暗殺団にとっては、龍馬も終始「テロリスト坂本」とか
思われていなかったのかも?

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3だとおもいます。

坂本竜馬が暗殺された頃は、次の政権を掌握するのがどこの誰かが注目されていました。
カリスマ性のある坂本竜馬は薩摩にとって邪魔だったのだとおもいます。

  • 回答者:匿名希望 (質問から21分後)
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新撰組、もし彼らがやったならやったというはず
2、見回り組み、ありえます
http://wwwe.pikara.ne.jp/matumaru/annsatu.html
3、薩摩藩説、これが私が選ぶ選択です
武力で政権を取りたい薩摩側にとって理想主義の龍馬はどうしても殺しておきたかった
ただ、学会では2、見回り組み、が定説みたいですが
黒幕は西郷ではないかとおもっています

  • 回答者:まみ (質問から15分後)
  • 1
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話としては薩摩藩説がおもしろいのですが、
実際問題としては新撰組ではないでしょうか。
そうとう付け狙っていたはずですし、
新撰組の威信にかけてもしとめたかったはずですから。

  • 回答者:いたりあのいんぱら (質問から4分後)
  • 1
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3.。。坂本竜馬が暗殺された頃はほぼ幕府が負けるだろうという空気に支配されていたと思います。。。むしろ幕府崩壊後を想定して、薩長のどちらかが主導権を握るかに焦点が移ろうとしていた頃です。。。こんなときに薩長どちらにも組しない坂本竜馬はどうしても新しい勢力にとって邪魔だった。もう彼の役割は果たし終えたと考え、薩摩が早いうちに彼を消しに行ったと思います。

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