京都です。
例えば、果物などが実る、出来ると言う場合には「なる」は使います。
「今年は柿のなり年やな」、みたいに言います。農作物には全般使いますね。
ただ、物事、事象の可能性を問う場合は一部で「なってくるのが天の理だ」みたいには言いますが、それとてもごく一部です。意味は読んで字の如しです。
ただ、「クルマの運転、なる?」みたいには使いません。聞いたこともないですね。やはりこの場合は「クルマの運転、出来る?」と問います。
質問のように可能性を問う場合は先述のようにごく一部でしかないみたいです。
上記の農作物の出来に関しての例示も、若い人は特に使いませんね。そこまでボキャブラリーが潤沢ではないようです。