すべてのカテゴリ » 知識・教養・学問 » 知識・学問 » 歴史・地理

質問

終了

船の話です。

幕末から明治頃「合の子舟」などと呼ばれる、和船に洋式帆船の帆装を追加して性能をアップしたものが使われていたと聞きます。
この合の子舟について言及している資料をご存知でしたら教えて下さい。

Webサイトなどでも結構ですし、書籍、論文などでも結構です。
またアカデミックなものでなくても、歴史小説などに登場している情報や、博物館に展示されている古い港の写真などに写っているなどの情報でも歓迎します。

  • 質問者:しっぽ
  • 質問日時:2009-06-09 04:32:58
  • 0

回答してくれたみんなへのお礼

回答くださったかた、ありがとうございました。
船、とくに帆船が好きなので、かなりの数があったはずなのに歴史のあわい目に埋もれてしまった感のある合の子舟について調べてみようと思っています。
あまりたくさんの回答は集まりませんでした。
世の中にはほとんど知られていないものなんだと改めて感じました。

並び替え:

まず、「合の子船」とは質問に言われているように、和船(千石船)と洋式帆船(スクーナー)の合の子ですので、これといった定義はありません。
また、「合の子船」といった場合、戦国末期~江戸最初期の朱印船貿易に用いたガレオン形式の南蛮船と和船・安宅船との混合船の事をさす場合も多いので資料検索時には注意が必要です。
<後者の場合は「ミスチオ(混血)船」という場合もあります

幕末期における洋装和船の場合、基本的に帆装部分の改修がメインになります。
最も多いのが、主帆の前に前帆(三角帆)をスクーナー形式に張る方式で、風上への遡航・切り返しに適したものへ改修されているようです。

また、船体構造に関しては、一部で中国のジャンクを参考に横肋骨や横断隔壁を設ける形で船体強度を増すものが出たようですが、税制の関係で洋式帆船に分類される事を避けるため、この改装例は少数であったようです。

帆装に関しても同様で、あからさまに洋式であると和船としての税制(和船の方が安い)を偽装したとみなされかねないため、帆走時のみ索を取り換えたとの話もあるため、風景画だけで「合い子船」とわかるものではないようです。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

ちょこちょこと画像でしたら、
http://kunnyori.blog43.fc2.com/blog-entry-182.html
http://www4.airnet.ne.jp/sakura/syofukuji/syofukuji_2.html
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/1890--ertugrulJIKEN/1890--ertugrulJIKEN_05_chap1.pdf(ページ4に)
http://karano.exblog.jp/3952923/
http://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_291.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~zensenk/kaiho/93kaiho/nihonshousen/nihonshousen47.htm

など、「合いの子舟(船)」「合の子舟(船)」と検索キーを変えることで結構出てきます。
海洋学や海洋民族学といった分野になると思います。
あと、国立民族学博物館のデータベース(http://www.minpaku.ac.jp/menu/database.html の上から2つめ)にて、
「あいのこぶね」と打ち込みますと1件ヒットしました。
画像がないので何とも言えないのですけど、所蔵されているかもしれません。

  • 回答者:曹達さん (質問から10時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る