航空機の搭乗員になるためには厳しい適正検査に合格した限られた人しかなれない狭き門でした。それに加え日本の場合は養成するにも少数精鋭主義で時間をかけて育てていくためもともと飛行機を操縦できる人数が限られていました。それが戦争が始まって大勢の搭乗員が戦死してしまい、それまでの適正基準、教育レベルを維持できなくなりとにかく操縦できる人を大量に戦場に送り出さなければならなくなりました。そのため操縦暦1年程度の22,3歳のなんとか操縦できるひとは特攻して人数が少なくなってしまった技量が高い人は残されたのだと思います。
あと命令する方の上官が特攻に参加しなかったと言われることが多いですが、操縦できる人が命令する立場にいるとは限らない場合があります。というのは飛行機の歴史が浅く少数精鋭主義のため搭乗員から指揮官になる絶対数が少なく他の兵科から転科してきたほうが多いということもありました。