とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
ザトペック投法の村山実、監督兼任になった後200イニング登板すると宣言したものの150イニングくらいに止まって批判も受けました。
昭和45年でしたか、14勝3敗、防御率0,98でしたっけ。
0.98なんて考えられませんよ。
破る選手は出ない数字ですね。
亡くなったとき、長嶋さんが「早すぎる」と話していたのが印象に残っています。
印象に残っている外国人選手ではハル・ブリーデンとマイク・ラインバックのコンビです。
なぜって二人が活躍しているとき、教育実習中で資料調べをしながら阪神・巨人戦のナイターを聞いていました。
巨人の選手がフライを打ち上げ、ライトのラインバックがライン上をバックした?とか言って教生仲間から笑われました。