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TOKKO(特攻)ってドキュメント映画を観たのですが
昭和天皇が戦争の最高責任者って感じだったのですが
どうして昭和天皇は裁かれずに生き長らえたのですか?
勝ち目のない戦争だと分かっていたなら早めに終戦を持ちかければ良かったのに
何故国民を犠牲にしてまで止めようとしなかったのでしょうか?
私の記憶の中の昭和天皇は顔色一つ変えず公務で国民に手を振ってるだけの
お爺ちゃんって印象なんですが実際に第二次大戦のときって実権を握ってたんですか?
またアメリカも本土襲来に焼夷弾の首都ジュウタン爆撃や原爆2発落としたり
どうしてそこまでする必要があったのかなと思いました。

  • 質問者:戦争を知らない世代
  • 質問日時:2008-09-24 00:53:40
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回答してくれたみんなへのお礼

皆さんご意見ありがとうございました。
正直こんな沢山のコメントが付くとは思ってませんでした。
色々な意見を読んでて思ったのは昭和天皇がヒトラーの様な完全な独裁者でないにしろ
海外メディアから見たら同じ様な戦犯に捉えられてて悲しくなりました。
興味を持ったのでもう少し文献など読んで勉強したいと思います。
軽い気持ちで聞いた自分が恥ずかしいです。

並び替え:

当時の天皇は国の最高責任者ではありましたが、命令する立場ではなく意見を述べられるくらいでした。日本が無条件降伏を受け入れたのは「国体の護持」を約束したからであって実際には条件付降伏でした。本土爆撃や原爆の投下は確かに生産力を落とし戦争継続を困難にしましたが、戦争を終わらせる手段には成りえず、あそこまでする必要はなかったと思います。アメリカは当初国体の護持を受け入れる気はなかったのですがソ連が参戦し、日本に影響力を与えたくなかったため受け入れました。「国体の護持」さえもっと早く受け入れさえしていればもっと早くに終わったはずです。それほど当時の天皇は実権はなかったのに強い影響力を持っていました。

  • 回答者:io (質問から22時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

他の回答者の皆様が的確なお答えをして頂いているので、補足のみ。
天皇が本当の意味で政治の実権を握っていたのは聖徳太子の時代までぐらいです。

鎌倉時代以降、天皇は「日本の象徴」にすぎず、その真の意味は「日本が独立国家である象徴」と言えます。

まさに聖徳太子が隋の皇帝に宛てた手紙に「日出る所の天子、日没する所の天子に書す」は、日本を属国と考えていた隋(現中国)に対する強烈な「独立宣言」に他なりません。

つまり天皇を失うことは、独立国家としての日本が終わることを意味し、GHQをしても天皇を裁くことは、激烈な反米テロが起きることを意味した為、天皇制を維持したとの説もあります。

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>勝ち目のない戦争だと分かっていたなら早めに終戦を持ちかければ良かったのに

結果論から言うと勝ち目がないという話しになりますが、開戦時においては事情はちょっと違っていました。短期終結という点が実現できれば、勝ち目はあったと思います。

もちろん、長期では駄目というのはわかっていたと思いますが、ハルノートにより、日本は死ねと要求されたわけですから、太平洋側の戦力比較を考えた時に、開戦という選択は戦略的にそれほど間違ったものではなかったとは思います。マッカーサーも言っているように、日本は自衛の戦争をしたというのは、かなり的を得た考え方だと思います。

一方、終戦が遅れた原因についてですが、アメリカが降伏した日本を人道的に扱うかどうかなんて、わかりません。19世紀~20世紀にかけて、西欧列強がアジアにたいしてやった蛮行は酷いものでした。しかも、アメリカはフィリピンを植民地にする辺りではめちゃくちゃやってましたから、降伏など簡単にはできないという心理があったのは事実だと思います。当時の日本人の思考としては、鬼畜米英というのは、まんざらうそでもなかったと思います。

>どうして昭和天皇は裁かれずに生き長らえたのですか?

米国の日本統治の戦略上、有用性があったからでしょう。

>実際に第二次大戦のときって実権を握ってたんですか?

実際、天皇大権があったわけですから、実権がなかったとは言えませんが、権力はどんな独裁者であったとしても、回りの意見を無視して行うのは難しいのです。しかも、天皇陛下は平和主義者でしたから、大権そのものを極力使用しないように努めていましたし、戦前の日本の議会だって、それなりの民主的要素は持っていました。

しかも、この天皇大権は、天皇が自分勝手にやって良いという権利ではなく、政府の意思が関与した上での大権のように思います。

>またアメリカも本土襲来に焼夷弾の首都ジュウタン爆撃や原爆2発落としたり
どうしてそこまでする必要があったのかなと思いました。

焼夷弾は日本の家が良く燃えるから。原爆は人体実験と、戦争終結を早めるためでしょう。戦争とはめちゃくちゃなものです。そこまでする必要があるかどうかというより、めちゃくちゃなものなので、相手が降伏するまで、とことんやるのが戦争だと思います。

  • 回答者:知識人 (質問から14時間後)
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ここまでコテンパンにされたのに不思議なのは
今の日本でアメリカに対して良い印象ばかり目立つのがやるせないです。
焼夷弾で焼き殺したり核2発で吹っ飛ばしたり
よくそこまで恐ろしいことをやってのけたなと
せめて大量殺戮の非は認めてもらいたいと思いました。

天皇を裁かず、国民の象徴に据えたのはGHQの判断です。
当時、天皇を裁いたらとんでもない暴動を起こしかねないと考えたのです。
人間魚雷などをする国なので、キレたら何をするか分からないし、日本人の性質が分かっておらず、ハラキリ(切腹)をするような野蛮な民族だと信じていたのでしょう。
統治するならできるだけ手早く、お金もかけずに済ませたいという思惑があったのでしょう。
日本は何度も停戦を持ちかけていますが、その都度日本の領地の完全撤退・多額の損害賠償などを要求したりし、日本にとっては到底受け入れられなかったのです。日本は併合した韓国等にに鉄道・病院・百貨店・学校などを自国の税金で造っていたからです。この当時、植民地にするならどこの国も植民地からあらゆる物(お金・農産物・人など)を奪いとって自国に利益をもたらしましたが、日本は逆に日本から多額の税金を持っていって韓国や満州などの国を整備したのです。なので、植民地支配をしていた外国に比べ日本は併合国からの撤退は断腸の思いであったと思います。しかも、併合国が欧米諸国に取られれば、日本自体も植民地支配される可能性が高かったからです。
戦争末期には天皇よりも軍の方の影響は多大なものがありました。天皇が意見をしてもねじ伏せられていました。戦後昭和天皇は欧米諸国に捕虜とされた兵士を最後まで帰してもらおうと努力なさいました。ご自身のお金で捕虜の解放を頼み込まれたという事実もあります。この時、国名を忘れましたが、「数千万のはした金で捕虜を返せるか」と天皇じきじきのご依頼にも関わらず無下に断られたという事実があります。天皇はご自身でお金の管理をなされていないので、ご自身のお手持ちのお金ほぼ全額を提示なさったのにです。
アメリカが原爆を落としたのはひとつに人種差別国家だという説があります。
日露戦争で白人に黄色人種が勝ってしまったので、白人=一番えらいと考えていたことが覆ってしまったわけです。歴史としてこういう事実を残すことは白人の汚点に関わると考え日本を壊滅させなければという思想もあったそうです。そのほかに黄色人種なら原爆を落として人体実験をしても良いという考えもあったかと思います。

  • 回答者:お助けマン (質問から13時間後)
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ある意味昭和天皇も被害者なんですね。
勉強になりました。

天皇は戦犯かどうかについては今でも意見が分かれてますが、大方は責任なしとしてますよね。私もそう思っていましたが、そう思わない方も案外いらっしゃいますね。
天皇の言動が手記で出たりしましたが、戦争には反対しても、軍部が許さなかったとありますね。
天皇が命を賭して反対しても、終戦になったかどうかは疑問ですね。
むしろ天皇が崩御すれば、ますます暴走したと思います。

本土爆撃は戦争終結が目的とされていますね。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から12時間後)
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怖いスレッドですね。
戦犯は軍隊のえいらさんたちです。
天皇陛下は直接何かをしていたわけではないからです。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から10時間後)
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私には難しい事はよくわかりませんが、イッセー尾形さんが主演され、昭和天皇を演じられたロシア映画『太陽』を観られてはどうでしょうか。
神と崇められ、戦争に翻ろうされた天皇が、終戦から一転して「人間宣言」へ至る苦悩と孤独が描かれています。

  • 回答者:知識人 (質問から10時間後)
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紹介ありがとうございます。
今回観た映画で昭和天皇にも興味を持ったので
是非観てみたいと思います。

天皇陛下は最高責任者ですが、日本は当時から民主議会制度を採っています。
議会で決定したことは、現代と同じように承認するしかなかったのです。
(ちなみに現代でも総理大臣の承認など天皇陛下に権限がありますが、否認など出来ようはずがないことはわかりますよね)
つまりは今も昔も象徴としての意味合いが強いということです。
(昔は今よりは権限もありましたが)

終戦・停戦・戦争回避、すべて試みました。
ですが、戦争をしたい相手側により受け入れられません。
少し悪い言い方をしますと、奴隷となるか戦って死ぬかの選択しかなかったのです。

民間人無差別爆撃・核による被害実験、これらが行われた背景はですね、
当時は有色人種は人間とは思われず、せいぜい亜種だと思われていたということです。

そこまでする必要はですね、小さな島国の反攻が思いの外手強かったからです。
強き国家を証明するには、圧倒的に勝利しなければなりません。
当時は覇権も正義だったのです。
そして現代でも強きものでなければリーダーたり得ません。

のちの歴史はどのように変化しているかはわかりませんが、
現代までに於いては、まさに勝てば官軍なのです。
ユナイテッド・ネーションズの常任理事国の顔ぶれを見ていただければ分かっていただけると思います。

  • 回答者:勝てば正義 (質問から9時間後)
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天皇は最高責任者とはいっても軍部のおみこしに担ぎ上げられた傀儡に近く、実験は軍部が握っており、天応が命令した軍が動く、というような最高指導者ではありませんでした。戦争を進めるにあたってあまり役に立っていたようではありません。
それに戦前は天皇はまるで神であるかのような(実質神以上)に国民に崇められていたので、戦犯として処罰した後の混乱を避ける名目で罪に問わなかったのでしょう。
アメリカが爆撃したのは、無駄な抵抗をせず直ぐ降伏して植民地になれ、という意味合いでしたが、日本がしぶとく闘い続けたものの相当の疲弊状態にあるのを見て、今度はロシアと闘ってロシアに降伏して軍門に下るのを防ぐために原爆を落として、兵力などの違いを見せ付けて、アメリカに降伏するように仕向けたものです。それと当時はアメリカもロシアも日本人などサルの一種にでも過ぎないというような認識だったため、どれだけ死のうがなんとも思わなかったのが実情です。
ロシアに降伏していたら、今頃ロシア自治領日本、で独立運動でもやってるかもしれないですね。北方領土も未だに返さないし、その可能性は大だと思います。
アメリカのいいなりとどっちがいいかって話です。

  • 回答者:お助けマン (質問から9時間後)
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 「天皇には責任はない、悪いのは軍部だ」という意見には賛同しかねます。仮に天皇に戦争遂行の意志がなかったとしても、憲法に明確に規定された最高責任者なのですから、当然責任は求められます。社員が不祥事を起こし、消費者に迷惑と被害を与えた会社で、社長が「悪いのは社員だ」と言ったら納得できますか?
 戦後の軍事裁判でも、部下に命令を下した上官は罪に問われず、手を下した部下がBC級戦犯として裁かれ、東南アジアでは多くの軍人が死刑に処せられました。一方、A級戦犯として裁かれ、終身禁固に処せられた者の中には、その後放免された者もいました。
 東京裁判での天皇の免責は、「すべての連合国の最善の利益」(フランス、ベルナール判事)として決定されています。すべては、戦後の対日・対アジア政策、世界戦略に利用されたのです。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から9時間後)
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そうなんですよね。
この映画で東京の焼け野原の惨状を視察した天皇が国民に向けて
「すぐ立ち上がり、この仇を撃て」と声明を出したそうです。
軍部にいくら神輿で担ぎ上げられただけの存在としても
宣伝に大きな影響力を持っていたのは事実ですから
そこが心に引っ掛かるんです。

天皇陛下は最高責任者であっても、御前会議にあげられた事項には、ほとんどNOはいえない状態のようだったようですよ。

総理大臣も内閣を組閣しても陸軍、海運大臣は現役の中将以上の制約がある時期があり、軍部が大臣を出さなければそれだけで
内閣は総辞職です。結局軍部に引っ張られた政府が決定して
そのまま御前会議に決定事項を報告して天皇陛下が了承するという形になっていたと私なりには理解しています。

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大抵、世の中そのようなものですよ。
国と国の話し合いなどでしょうね。
実質的に軍部が決定したのですからね。

そもそも戦争でより多くの人を殺せば、最高責任者として賞賛される。
そのことが、おかしいですけどね。


  • 回答者:paco (質問から6時間後)
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一番目の回答者の方が随分左寄りなご意見でしたので、バランスをとるためにもお答えいたします。長くなりますがご容赦ください。

昭和天皇は、大日本帝国・陸海軍の最高責任者(大元帥)であり、当時は日本の元首として憲法で規定されておりました。

まず大東亜戦争の開戦ですが、これはアメリカを始めとする連合国の策略であり、日本に対し、あらゆる物資(特に石油などの資源)の輸出を禁止して(ABCD包囲網)、日本経済の破綻を目論んでおり、このままいけば2年で石油などの備蓄がなくなり日本国民は飢えて死ぬばかりか、結局はソ連(現在のロシア)かアメリカの植民地になりかねなかったのです。彼らの要求は『日清・日露戦争、第一次世界大戦で勝利して獲得できた権益(領土やそこで築き上げた鉄道・道路網などの社会資本や石油石炭などの資源)を全て(元々関係ないアメリカなどに)明け渡せ!』という事実上の降伏勧告(ハル・ノート)でした。当時はまだ力のない国が力のある国に飲み込まれて植民地化され、特に欧米の植民地にされた国は、富を完全に吸い尽くされ、そこの国民・民族は奴隷か家畜同然の扱いをされその疲弊ぶりは目を覆わんばかりの有り様、というのが当然という時代だったのです。

(貴方がおいくつか判りませんが、要は鉄パイプを持った札付きのワル共が複数で貴方を取り囲んで、「今までコツコツ稼いだ金と今着ている服と時計とかのアクセサリー全部よこせ!さもないと・・・」と脅されているのと同じことです。貴方だったらこの状況どう思いますか?)

なので、日本としては当時「このまま坐して死を待つより、資源の確保を求めて連合国と戦おう!」という主戦派と「交渉して何とかアメリカなどとは戦わず、譲歩してでも禁輸措置を緩めてもらおう」という開戦反対派に別れて議論していたわけです。実際、外務省などがアメリカと交渉して最大限の譲歩の条件も出しましたが、アメリカは元々当時日本が持っていた中国東北部(旧満州国)など中国に乗り遅れたために持っていなかった権益が欲しかった為に、戦争をする口実がほしくて一切の妥協を許さなかったのです。

当時、昭和天皇ご自身(私心として)はアメリカを主な敵とした連合国に対して開戦することに反対でしたし、また軍幹部といえども海軍は「アメリカを敵とした場合、戦力差は歴然としており負ける」と分析しており、開戦反対派でした。しかし、事ここに至っては主戦派の陸軍の言い分が国民の間でも支持され、結局政府は「戦争に訴えてでも、国益を(というより国民と国の尊厳を)守る」と開戦が決まったわけです。当時の大日本帝国憲法でも天皇の役割は国会や政府の決定を認可するということであり、自分の気持ちだけで「アレヤリタイ、コレヤダ」と決める権利はありません。そこが独裁者であるドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニと違うところです。また、開戦時の総理であった東条首相も独裁者ではありません。閣僚や国会などで議論して「民主的に」決めた結果だったのです。その後がハワイ真珠湾攻撃などの大東亜戦争の開戦であり、一時的にせよ(植民地状態だった)東南アジアやオセアニアの太平洋諸島の国々から欧米の勢力を一掃した訳です。

日本の本心としては、この時点でアメリカなどとは停戦し講和を結ぶ、というのが最善のシナリオだったが、結果として不意撃ちとなった真珠湾攻撃で戦争に無関心だったアメリカの世論に火をつけてしまい(これも当時のアメリカ首脳陣の策略)、「日本を徹底的に痛めつけなければ気が済まない」という空気を作り上げたため、泥沼化していった訳です。

当時のアメリカ(を始めとする白人社会)は、日本人を「科学技術を身につけたサル」と決め付けるプロパガンダを展開しており、一般人や兵士は本気でそう信じていました。つまり、『同じ人間である』という意識が全く無かったわけです。彼らアングロサクソンにはアフリカ大陸やアメリカ大陸、オーストラリア大陸に進出(というより侵略)した時に、有色人種である黒人やネイティブアメリカン(インディアンやインディオ)、アボリジニなどを虐殺しまくり(民族浄化)、殲滅してきた歴史があります。そこには彼ら先住民族を人間とは思わない思考回路があったからこそ、彼らを「少数民族」にしてしまったわけです。

日本民族は明治維新以降、最先端の科学技術を懸命に身につけ国家の体制や軍隊の整備などをして、当時の中国(清)や他の植民地化された国々と同じような悲惨な目に遭わないようにした上、国際的なルールやマナーなども身につけ守った上で、大国だった欧米と対等に付き合えるようにしてきたわけです。

そんな日本人が攻撃してきたわけだから、一般人の『黄色いサルのくせに生意気な!』という白人の優越感が脅かされたような感覚と、アメリカ首脳の『これで生意気で下等な民族である日本人を殲滅できる』という思惑が一致したため、本土攻撃に際して無慈悲ともいえる絨毯爆撃(しかも都市の周囲をまず焼いてから、その中を徹底的に爆撃していくというまさに民族浄化作戦!)、そして2発の原爆投下で一瞬のうちに30万人の命を殲滅させ、その後現在に至るまで放射線による「原爆症」で苦しみぬいて死んでいく被爆者たちを生み出しておいて、一言の謝罪も無いのはまさに日本人に対する「蔑視」の表れです。(それを証拠に原爆を落とすべきではなかったと言っているアメリカ人はこの原爆投下関係で放射線を浴び、自身も同じ被害者になった元軍人やその関係者などごく少数である。)

これら無慈悲な作戦は降伏文書の元となったポツダム宣言を受け入れるかどうかの決論を日本の政府首脳が迷いに迷って議論している間に、『さっさと受け入れて降伏せよ!』という催促のために行われたような見方や当時共産主義国のソ連を警戒してアメリカの力を見せ付けたかったから原爆を落としたなどという見方もあるが、実際は違うと思う。
それまでの戦闘でも、アメリカ軍の兵士は死んだ日本人兵士の耳を削ぎ落とし戦利品としたり、殺した日本人の頭骸骨をコレクションにしたり、それらをアメリカ本土の母親や妻、恋人に送って自慢している。しかもそれらを受け取ったアメリカ人女性らも嬉々として受け取って他人に自慢している資料が数多く残っているのである。(なんとおぞましい白人ども!)
そして敗戦間際になってソ連が日ソ不可侵条約を破って満州と南樺太、千島列島に侵攻してきて女子供は犯されズタズタに切り裂かれたりして蹂躙の挙句、皆殺しに遭い、降伏した男はその後何年間も極寒のシベリアでまともな食料・衣服や暖房設備も与えられず強制労働させられたわけです。

こういった無慈悲で非人間的な扱いを受けて無残な最期を迎えなければならないのであれば、自らの命が盾となって自分の愛する家族、恋人、故郷を守ろうと爆弾を抱えて『特攻』すべし、と当時の日本人たちが考えたのも、やむを得ない事だったのではないでしょうか。女性や子供も蹂躙されて殺されるなら戦って死ぬほうがましだと考えた人も少なくなかったという証言などもあります。しかし当時の日本軍は民間人に武器を渡して戦闘要員として扱うことはなかったし、結果として「兵隊さんの足手まといにならないように」とか「もう逃げ場が無い」などという理由で玉砕(集団自決)などがあったわけです。

戦争の責任というのは一体どんな責任なのか、定義が不明確です。戦後GHQなど連合国側が開いたいわゆる「東京裁判」では、戦勝国が敗戦国を事後法(後から勝手に罪を作り出す法律)勝手に裁くという無茶苦茶をやったことで『戦争犯罪』とか『戦争責任』とか言われておりますが、全くもってアメリカなど戦勝国側の都合で作られたものであり、戦争犯罪とか戦争責任は皆無だと言って良いでしょう。当時の国際法の権威であり東京裁判の判事も勤めていたインドのパール判事もこの国際法に照らして、『事後法で裁く日本の戦争犯罪は成立しない、A級戦犯を含む戦争犯罪人は全員無罪!』と唯一人公正な判決を下した(多数決で結局は大多数が有罪にされたけど)。ちなみにパール判事は日本に同情して肩を持ったわけではなく、戦勝国が敗戦国を一方的に裁く行為自体が国際法上違法であり、無効だ!と言っているのである。

日本は開国以来の欧米の侵略に対して、日本人の歴史と伝統を守る為に立ち上がり、結果として負けはしたけれども、植民地という悲惨な状況は何とか免れて、旧植民地だった国々は立ち上がることに勇気をもらい、戦後次々と独立を勝ち取れるということになった。現在までの日本の平和は戦わなければなかったとも言えるわけです。
ですから、戦争で亡くなられた全ての方々に感謝と尊敬の念を持たなくてはならないと思うのです。

長くなりましたが、きちんとした戦争に関する文献を丁寧に読み解くと理解できます。手っ取り早い文献は小林よしのり氏の『戦争論』関係の書籍です。私の知識も彼の文献が元になっています。

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詳しくありがとうございます。
物凄く勉強になりました。
なんか本土に米兵が上陸してきたら民間人は竹槍を持って応戦しろと
一億総特攻の教育をされてたみたいですね。
小林よしのりさんの本も興味あるので読んでみたいと思います。

そうですよね。
戦争を知らない年代の私も「?」と思うことがあります。
が、「しらないからいえない」のも感じています。
私たちは絶対制ではなく、自由に生きてきました。
でも、戦前は「大日本帝国」=「絶対」
ゆるぎないものの存在が天皇だったと思います。
戦争を知らなくても日本は昔からそう。
何かを称えて、お願いをすることが多い。
第二次世界対戦中は天皇ではなく軍事(今の公務員とかいえばわかりやすいですか?)が進めていました。
アメリカが原発を落としたのは実験。
核の実験をしたかったから。
昔の日本は宗教みたいなものです。
おじいちゃんは「止めろ」って言っても軍が伝えなかったものとかもあるそうです。
停めたくても止めれなかったのもあるのではないかと。
負けると思って止めてくれ!と申し立てたのに核実験をしたアメリカ
どうでしょうね、戦争は止められないのかもしれませんね。

  • 回答者:お助けマン (質問から3時間後)
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当時、昭和天皇は国の最高指導者でしたが、実権は軍部のものでした。

旧日本軍には「生きて虜囚の辱めを受けず」という考えが浸透していて、軍上層部には降伏するくらいなら一億総玉砕して死んだ方がマシという考えで固まっていて、徹底抗戦を主張していました。
しかし、戦争に勝つ見込みもなく、国民全てを犠牲にすることに心を痛めた天皇は軍の反対を押し切り、降伏を決意しました。

日本が降伏せず、戦争がさらに続いた場合、アメリカは本土上陸作戦を計画していましたが、作戦を実施すればアメリカ軍にも相当の人的被害が出ることが予想されました。
戦争をなるべく早く終結させれば、アメリカ軍の被害を抑えられるため、日本の戦意喪失を狙って原爆を投下したのです。
戦争状態になれば、相手国の市民より自分の国の兵士の方が大事ですから、広島・長崎を含む日本の多くの市民の命と引き換えにアメリカは自分たちの兵士を守りました。

終戦後、日本を占領した連合国は、昭和天皇を戦犯として裁いた場合、天皇を神と崇める日本国民に動揺を与え、日本の統治が難しくなると考え、昭和天皇の罪を問いませんでした。
占領軍のマッカーサー司令官は「もし、天皇を起訴すれば、間違いなく日本人に激しい動揺を引き起こし、占領軍は少なくとも百万単位の軍隊が必要となり、その軍隊を無期限に日本に駐屯させなければならない事態も十分ありうる。」とアメリカ本国に昭和天皇の免責を訴えました。
そして、天皇は「最高指導者」としてではなく「国民統合の象徴」として、「神」から「人」になりました。

二度と戦争を起こしてはいけないし、あの時代のような思想に戻ってもいけないと思います。

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アメリカ政府が日本をアメリカよりに民主化(して、ある意味属国にする)するために天皇は必要だと判断したのだと思います。 また、昭和天皇が必ずしも戦犯ではないとマッカーサー以下軍部が調査・判断をして報告をしたのだと想像します。 関係ないですが、日本の総理大臣と似ているような感じがします。 裏で官僚や大物族議員が糸を引いているのと状況は似ていると思います。

それから、原爆などは、米軍の、日本軍に対する恐れがあったと思います。 欧米では身を捨ててまで抵抗する日本軍のことは今でも有名で、(良し悪しは別として)早く終結させるためにとった措置だったと思います。

これも余計なことですが、多分日本人全員が戦争戦争と思っていたのではなかったのでは、と思います。 強制で軍隊に入れられ、戦争が嫌でも、友人が自決をすれば恥ずかしいから自分も自決せざるを得ない。 誰かが儲かるので地デジが導入され、それを知らない我々はといえば、隣が地デジにしたので何となくうちもそうした、というのと同じだと思います。 恐ろしいことです。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から2時間後)
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地デジの例えに思わず納得してしまいました。
集団思想を考えると怖いですよね。

とても重い質問ですねぇ~~。
いろいろな人の回答を見たいので終了しないでください。
もっと、他の人の回答を見てから回答したかったのですが
以下、
私が旧軍人、その当時の民間人から聞いた内容で質問を含めて
回答させていただきます。

>TOKKO(特攻)ってドキュメント映画を観たのですが
第二次世界大戦、太平洋戦争を描いた映画や
テレビドラマ、ヒストリーチャンネルなどで最近公開されていますが
戦後60年以上になるのに、いまだに表現できている作品はありません。

>昭和天皇が戦争の最高責任者って感じだったのですが

大元帥に祭り上げていますね。
天皇の元で戦争をするというカッコをつけて軍令部は責任回避をしたものと思います。

>どうして昭和天皇は裁かれずに生き長らえたのですか?
正に日本国民にとって責任回避の象徴とも言われていますが
マンボウさんが回答しているとうりかと拝察しております。
戦勝国で日本を一部占領した米国も
昭和天皇に責任を取らせて東京裁判で死刑にすると
日本はソ連のような社会主義になることを恐れて、そうしたのかと。。

>勝ち目のない戦争だと分かっていたなら早めに終戦を持ちかければ良かったのに

勝ち目のない戦争だと分かってた国民の一部と海軍の一部は弾圧されています。
米英と戦争することすらばかげたことだと思っていたのですから。

>何故国民を犠牲にしてまで止めようとしなかったのでしょうか?

今でも国民は犠牲にされているのではないでしょうか?
いろいろな意味で。

>私の記憶の中の昭和天皇は顔色一つ変えず公務で国民に手を振ってるだけの
お爺ちゃんって印象なんですが実際に第二次大戦のときって実権を握ってたんですか?

この当時から天皇は日本の象徴だったんでしょうねぇ~~
手を振ってるだけの。
実験は軍令部、大本営が握っていたはずですから。
軍令部、大本営、憲兵達が、終戦後どのような責任をとったのかは不明です。

>アメリカも本土襲来に焼夷弾の首都ジュウタン爆撃や原爆2と発落としたり
どうしてそこまでする必要があったのかなと思いました。

軍令部が降伏しなかったからかと。。
私が産まれる前でしたが私の家も空襲で全部焼けたそうです。
原爆に関して。
「しょうがない」と言った政治家が長崎県民に選ばれて政治家であることに・・・・・・






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お礼コメント

ご意見ありがとうございます。
確かに国民の犠牲は形を変えて今も続いてるのかもですね。
中規模な都市人口に匹敵するほどの自殺者を毎年出してる日本は
平和なのかと言ったら疑問ですしね。

私も戦争を知らない世代です。

あの時代、天皇は生き神様と崇められていました。
ただ、実権を握って好き勝手な振る舞いをしていたのは軍部のごく一部の人間で天皇が率先して軍を指導していた訳ではありません。

敗戦後、戦勝国の中には天皇を処刑すべきと主張したところもあったようですが、日本という国全体に戦争責任がある訳ではなく、天皇を失うことによって日本人が失望し国として復興出来なくなることを危惧して国の象徴として天皇を存続させるべきという結論になったと学校では習いました。

天皇は、戦争によって多くの国民を不幸のどん底に陥れたことを死ぬまで忘れなかったと思います。(決して天皇自身が希望した戦争ではなかったですからね)

アメリカは、一度も自国を攻められたことはありませんでした。ハワイ真珠湾とはいえ自国を攻撃されたことに大ショックを受け、日本を殲滅する選択をしたのではないでしょうか?
日本の技術力に序盤は太刀打ち出来なかったのも事実です。零戦にまったく刃がたたなかったのです。ただ、圧倒的な資源量と工業力で盛り返していったのですが、降参しない日本を降参させるために原爆まで使ったと個人的には思っています。
降参しない代わりに死を選ぶというのがアメリカ人には理解できなかったと思います。

  • 回答者:うぅいぇい (質問から2時間後)
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マッカーサーもエンペラーの取り扱いには相当悩んだようですが、戦後日本の経済的復活を早めるためにも、中心力となるものが必要だということで、不問にされたようです。また、じっさい天皇には軍を押さえることが出来なかったので、終戦に持ち込めなかったのです。
首都の縦断爆撃は戦争を終わらせるために、行ったものですが、原爆2発については、実際の効果がどうあるかを調べる実験のためです。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から2時間後)
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明治時代からの歴史、というより大航海時代からの世界史の流れをよく読まれて、その中で判断されると良いと思います。
一事象だけ見ると全体の流れが見えません。

あと、良いか悪いかは別にして、国を守るという事は、どこの国もそうだと思いますが、血を必要としています。それだけの覚悟が、周りからの畏怖、尊敬を得るのでは。

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あの時代は,ABCD包囲陣に囲まれ、座して死ぬか、打って出るしかなかったように思います。
確かに、陛下は国軍の最高司令官でしたが、実態は、陸、海軍が押さえていました。
終戦の玉音放送は、自分はどうなってもいいという陛下のご意思だったと思います。
政党は国体維持を絶対条件としていましたが、陛下自身は人間宣言・マッカーサー訪問でも、自分はどうなってもいいというおもいでいらしゃっつたと思います。
原爆に関して言えば、米国民は日本に降伏をさせるための有効手段としてますが、長崎の無能児、広島の祈念館等を見れば、人間としてやってはいけないことであったt事は、明白です。

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もちろん天皇は戦犯です。
アメリカは天皇制を残したままの方が日本の復興は早いと考え、
また日本も天皇は東京裁判にはださないと決めていたといわれてます。

天皇は戦争を止めようとして東条にその役目を任せました。
しかし、東条でもそれはできませんでした。
当時の日本は軍がバラバラに力を持ちそれを統率できなかった。
満鉄の守備隊にすぎなかった人があれほどの力をもってしまい
下からの突き上げがすごくそれを抑えることができませんでした。
それからはマスコミ(新聞)はどこも参戦であおるようになりました。
本当に簡単に書くとこんな感じだと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から11分後)
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昭和天皇は、実は戦争を止めようと努力された方です。しかし、当時の軍幹部には勝てず、結果として開戦を許してしまいました。開戦後も、戦争を早く終わらせたいとの思いはあったようですが、暴走する軍幹部は聞く耳を持たなかったのです。悪いのは軍幹部であり、昭和天皇ではありません。
終戦後、天皇が処罰されなかった理由ですが、上記の事情に加え、当時は「天皇は神」という思想が日本国民(正確には大日本帝國臣民)に骨の髄まで浸透していて、もし天皇の罪を問おうものなら、とんでもない反乱が起きることが想定され、あえて天皇を不問にしたのです。そして、日本国憲法でも「天皇は国のまとまりの象徴」という立場を与えられたわけです。

アメリカが大戦末期に日本に対する苛烈な攻撃をした理由は、とにかく早く終戦を、との意識でしょう。特攻など「命を粗末にする」行為が増えたため、最終的な人的損害をなるべく減らす目的で、日本軍に戦意を喪失させるべく、激しい攻撃を加えたわけです。

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お礼コメント

今回観た映画によると特攻は少年兵までかり出して特攻を行なうことで
天皇に終戦を早めてもらう目的もあったそうです。
ここまで国民総出で痛みを被ればいい加減に戦を止めてくれるだろうみたいな。
大戦末期は現場の日本兵からも勝てない戦だともう分かってたんですね。

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