漠然としたイメージではなくて、あくまで「具体的に」考えて「学校で行う、教養的な学問」というのは、どこの学校で行われている、どのような教科の事でしょうか。
職業柄感じることですが、少なくともここ20年ぐらいの大学入試問題の過去問を見ると、ただ覚える事だけしか問われていないというのが圧倒的多数だと思います。
柔軟且つ強靭な思考力を問う問題は極めて稀です。
小論文という問題形式もありますが、その採点基準にも大きな問題がありますし、また、小論文に対して予備校・塾などで「傾向と対策」を準備しており、殆ど暗記問題化しているという事実もあります。恐ろしい・・・。
大学入試問題にしてからがそんな状況ですから、そこに至るまでのあらゆる段階での「教育」内容は推して知るべしでしょう。
入試段階でそのような問題しか問わないのであれば、入学以降の授業でも同じ路線を敷いているとしか思えません。逆に言いますと、大学の学内で求めている方向性というのがあって、それに従って入試問題作成担当者に問題を作成するようなシステムを採っています。尤も、相当数の大学をリサーチしたわけではないのですが。
勿論、或る程度の教養は必要だと思いますが、教養が自分の頭で思考するための前提的道具というよりも、目的になってしまっているのではないでしょうか。
酷く極端な例を挙げますと、文学史の入試問題に必要な知識が「人生を豊かにする」とは到底考えることが出来ません。
===補足===
ベスト回答ありがとうございます。他の回答者の方々と比べてもかなり批判的な事を書いたのでまさかベストに選ばれるとは思っていませんでした。むしろ満足度★★★が与えられるのを覚悟していたほどでした。
仰るように、「的確に」行われれば良い結果が得られると思いますし、実際に出来てきたか・出来るかというと大いに疑問ですよね。
自分で意義を見つけることが出来る子供は相当に少数だと思います。この問題は、当の子供本人の資質や、それを育む家庭での教育のあり方が大きくかかわっていると思います。
一つ一つの学校の姿勢も一人ひとりの教師のあり方も様々で、どこまで頼りになるかはかなり不透明なので、先ずは個人レベルで考えることが重要だと私も思います。親がその様に個人のレベルで考える事によって家庭教育のあり方が大きく変わって来ると思います。
しかし、これまでの学校教育がそういう人間を育てる方向で行われてこなかった事を考えると、その様に自分で考える事の出来る親もかなりの少数だという結論にならざるを得ないのでしょうか。