「一を聞いて十を知る」は、論語の中で、孔子の弟子の子貢(しこう)が孔子の一番弟子の顔回(がんかい)についていった言葉です。
「孔子が子貢に問いかけました。
『お前と顔回(がんかい)とでは、どちらが優れているか。』
子貢は答えました。
『私はとうてい回(顔回)の足元にも及びません。
回は一を聞いて十を知る事が出来ます。
私は一を聞いてもニしか知り得ません。』
すると、孔子が言いました。
『その通りだ。私もお前と同じで顔回には及ばない。』」
意味は物事の一端を聞いただけで、全体を理解できる賢明で察しのいいことのたとえで、大変聡明である事を言い表す言葉です。
http://www.mizz.jp/word/word_20.html
「十を聞いて一を知る」という言葉は(故事やことわざとしては)ありません。
なので意味はジョークとしての意味合いで「十を聞いても一しか知り得ません」ということで、凡人のそのまた下の下(凡人が一を聞いてもニしか知り得ないのだから)ということになるのではないかと思います。
===補足===
今ページを拝見させていただきました。
おそらく岸恵子さんの造語ではないでしょうか。
一を聞いて十を知るは一種のおごり(わかったつもりになっている)で、人はもっと謙虚になるべきだという自戒もこめて『十を聞いてもやっと一くらいしか分からないのだという精神を持ったほうがいい』という意味でおっしゃっているようです。
大変素敵な言葉ですね。