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時代劇でよく悪人がアヘンを取り引きしたり、庶民を中毒にしたりしてますが、江戸時代に日本国内でそんなことって実際にあったの?

  • 質問者:ny
  • 質問日時:2009-03-18 19:49:38
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日本での栽培史
日本では桃山時代から江戸時代にかけて中国より渡来し、当初青森県で栽培されていた。それゆえ、アヘンを隠語で津軽と称した。その後山梨県、大阪府などで少量、産出された。第1次世界大戦頃、医薬品国産奨励の一環として栽培が奨励され、1935年頃には全国作付けが100ha、アヘン年間生産量は15tに達した。当時全国産額の50%は和歌山県有田郡で、40%が大阪府三島郡がそれぞれ占めた。

以上Wikipediaより抜粋。

国内でも医薬品として栽培はされていたので、
麻薬として使っていた人も居たかもしれませんが、
「高麗人参」などの高価な薬品扱いで、例え闇売買でも、
とても庶民が自分の為に気軽に買えるようなものではなかったと思います。

日本で麻薬が過剰供給になるのは、
日清・日露戦争で麻薬栽培地区を占領・領有する頃からと言う意見もあります。

  • 回答者:春休み (質問から7日後)
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日本国内においては闇社会においても流通していなかったようですが、同時期に清国における「麻薬」として利用されている事は書物などを介して薄々とは知られていたようで、こういった事から人格を狂わすもの、精神を破壊する中毒性の物質(それでいて酒やたばこの様に知られていない何か)を「阿片」として理解されていたようです。

 つまり、アヘンそのものはないが、知識としては博学な人が知っている事もあり、同時に舶来品のものや一種の表現として「阿片(阿片的な)」と使われていた事があったようです。
 特に幕末期の阿片戦争以降には清国を破綻させた薬物・中毒物質として広く知られていたようです。

 一方、国内においては麻(田畑の脇に生える雑草や、布用に栽培するもの)を野焼する際に出る煙などを吸ったりした時のむかつきを「麻酔い」などと称しており、一定の症例に関しては知られていましたが、日本国内の麻の種類では陶酔成分(テトラヒドロカンナビノール)の含有量が低い事、アヘン用に精製していない事などから積極的に嗜好性の薬品としては利用していませんでした。

 また、蘭学・西洋医学の導入に伴い麻酔薬を作る目的から麻を栽培し、その成分を生成する地区もでてきたのですが、これは逆に各藩の現金収入・特産物用として厳しく管理されていたため、薬物用に横流しできるものではありませんでした。


 あくまで時代劇の中で用いる小道具としての薬物中毒、その中で時代考証的に最も無理が無いといった事で阿片が使われている(上述の麻酔薬生産の悪用など)だけですから、事実とは言えないと割り切ってみるべき事でしょう。

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抜け荷ですから少量は流通していたでしょう。
でも庶民はないでしょうね、金額的に。
商人か、やくざ、でしょうね。

  • 回答者:まるこめ (質問から16時間後)
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江戸時代前半はあまりききませんが、江戸時代後期は中国でのアヘンの普及とともに密輸入されていた可能性があります。不真面目な長崎奉行に袖の下を渡していたらスルーだったのでは、と思われます。

アヘンの原料はケシですから日本でも栽培可能ですし、医療用麻酔剤の横流しがあったかも知れません。

いずれの場合も、お金がかかるので庶民が手を出せる代物ではありませんし、犯罪者やお金持ちが対象だったと思われます。

  • 回答者:匿名希望 (質問から5時間後)
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アヘンがお薬として使われていたので
横流しがあったのでしょうね。
今と感じが似てますね。
(医療機関が覚せい剤や睡眠薬を横流しするなど)

  • 回答者:匿名希望 (質問から4時間後)
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多分、アヘンは、密貿易で入って来たものだろうが、アヘン自体は、日本でも栽培可能なケシから取れる物なので、それなりに手に入ったのではないかな? 小石川養生所とかでも、薬として利用する為に栽培していたのではないだろうか。

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医療用に使われていたぐらいで
一般には流通はしてなかったのでは
それに高価なものではなかったかな
簡単には「手に」入らない

  • 回答者:やく (質問から2時間後)
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実際にあった記録は残っておりますが、正確には売春行為をしている女郎に吸わせて、女郎が逃げ出さないように、アヘンで中毒にさせていたらしく、その日食うのがやっとな庶民には、あまり縁がなかったみたいです。
ただ、それも少量しか出回っていなかったらしく、当時の日本は鎖国であり、清国やオランダと貿易をしておりましたが、海外貿易がほぼ完全に幕府の統制下にあったため、国内でのアヘン流通は医療用として少量が流通するのみでした。
当時、医師の中には女郎屋も掛け持ちしていた者もおりましたから、そこからアヘンが流通しても不思議ではないでしょう。
女郎ならともかく、その日食うのがやっとな当時の庶民の手にアヘンが渡り、中毒になったりするシーンがあったとは思えないですね。
江戸幕府は、アヘン戦争の教訓から安政五カ国条約に、アヘン輸入禁止の条項を設けました。
この条項は、部分的な条件下で諸外国にアヘンの所持や密売に対して、罰則を設ける物でした。
条約以前から、清国やオランダは日本との通商関係を維持したいため、イギリスが清国おこなったアヘンの密貿易をを忌避しており、そのため条約にもすんなり受け入れております。
そのため、時代劇のようなシーンについては、女郎にはあっても庶民には浸透しなかったのではないでしょうか。

  • 回答者:ミーは匿名ざんす!! (質問から2時間後)
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アヘン戦争が有ったのが、1838年で江戸時代に該当しますから、有ったんでしょうね

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