ずうずうしい人は嫌ですね。
女なんだからおごられるのが当然という感覚を持っているとか
プレゼントをねだり買ってもらえるのが当然という感じが見えたとき嫌いになってしまいます。
金持ちでもないですし、
別にケチなのではなく金に特に困っているわけでもありませんが
男なんだからおごれよ、という考えが嫌いなんです。
出してやるにはやるのですが、遠慮がちに、ありがとうと言える、次の機会に出すとするなどの気持ちが謙虚で可愛いのでこちらも当たり前だよと思えるものだと思うんです。
自分のために一生懸命なにかをしてくれようとする健気さや、端々の思いやりは何よりうれしく、他の欠点は誰にもあるので全て帳消しで許せます。
この質問に回答しようとして、ふと自分のことを振り返ってみたのですが
そういえば女性は一生懸命に自分の楽しかったこと、ともだち、家族のことなどをうれしそうに話しますよね^^;
間合いもほしいところですが(笑)その欠点と思える部分を考えて思うのが
自分にもそういう面もあり、女性の言いたい事を先読みして聞いてやらない体制で決め付けた禁止のように話をぶったぎってしまう時がたびたびあります。
「またいわせてもらえない」という経験学習から、女性の一種恐怖心を植え付けてしまっているのではないかと反省します。
「人の嫌いな面は己の鏡」ということを親に教えられたことがあります。
嫌な面を相手に見つけたとき、それは自分で気づいていない自分の欠点だということでした。
なるほど、自分のことは見えにくく、また、自分が相手に禁止を与える行為そのものが
相手の欠点を助長し膨らませ
無くて済んだはずの相手の欠点を自分こそが育てていくのだと思います。
人間関係をうまくいかせる一番良い方法は自分を知り、自分を直すことだとも親に教わりました。
それを聞けずに今に至ってしまい、未だ進歩なく同じ失敗ばかり繰り返してきてやっと落ち着き始めたという愚かな私です。45歳男です。
===補足===
お返事ありがとうございます。
人との関係を円滑にするには、自分を第三者として見ることが一番大切だと思うようになったのはごく最近のことです。
私も元は、気に入らないと自分への目はそらして全て周りが間違っているからこうなったのだと考えていたようです。
少しニュアンスが違うのですが
喧嘩両成敗と申しますように、ぎくしゃくしている相手にとって、自分は本当に話を聞いて理解をしてあげようとしてきたのか?
自分のことを正しいと思いこんでいる自評を中心にするだけで
相手や周りの言葉が、なぜそういうのかを想像で決め付けてきてはいなかったか?
本当に、優しさを忘れずに、何度でも聞いてあげて理解しようとしているか?聞き流していたり相手の口をふさいではいないか?
だから相手が萎縮して自分から離れていくのではないのか?
そういう風に思えるようになったのは、恥ずかしながら、こんないい年をして直球でものを言う奔放で恐れを知らない高校生の我が子からの苦言でした。
「お父さんだってお母さんの話をっちっとも聞いていたためしがないよ!
今だって、むしろアンタのほうが自分ばかり喋っていてジコチューじゃないか!お母さんは一言も言えないしアンタは聞く耳もたないことに気づきもしないバカだ!俺にだっていつもそうだ」
アンタ呼ばわれして、いつもなら腹がたつはずがあまりの衝撃に一言も出ませんでした。
息子はhきこもりの登校拒否でした。原因が私の勝手なふるまいと家族を省みないで自分の趣味をやりたければ行使するこの態度で
子供なりに母親を守ろうとしていて、無力さが故に逆切れしてジレンマから母親を殴るけるという思わない方向へと走っていったのでした。
このとき私はプライドを捨てて息子に謝りましたよ。
すると、その場では音をたててドアをしめてひきこもりましたが
徐々に学校へいくようになってきたという事実は、紛れもなく私が大きな考え違いを今までずっつぃてきていた証であることを証明したんだと二度目の反省をしました。
なんとなく他人のような気がしなくなって
おこがましいようですが、お怒りを承知で申し上げます。
あなたもひょっとしてどこかに何か思い当たる節はありませんでしょうか?
私がそうであったからといって、
酷い勘違いで差し出がましい意見であれば、すみません。
こんなやつの例もあるということで読み捨ててください。